本社OB会の天野勝哉さんより、昭和29年当時の「東亞燃料写眞クラブ」に関する、貴重な資料を拝見させていただきましたので、ご紹介させていただきます。
また併せて、天野さんから「当時は外貨割当獲得の時代で、本社事務所は大手町のニューヨーク・ナショナル・シティ・バンク・ビルにあり、黒川清司氏を師に迎え、本社4名で写真部の活動を行なっていた」とのお話も聞かせていただきました。
以下に、『カメラウイークリー 1954年3月1日号』に、「東亞燃料写眞クラブ展より(高橋準、赤祖父清次郎、高橋満寿雄、天野勝哉)」と紹介された記事を転載いたします。
......................................................
東亜燃料株式会社内にある同写眞クラブはベテランの赤祖父氏を中心によくまとまったクラブで講師には新進の黒川清司を迎えており、作品も一部をこゝに掲載したが明るい雰囲気のものが多い。
高橋準氏の“ワーンー”は赤ちやんの良い表情を捉えている。開放絞で難しい撮影であるがもつと皮膚や毛糸の質感が出てほしかつた。赤祖父氏の“Y子ちやん”は赤ちやんと較べて多分に構成的であるが厭味がない。体が少しずれているようだが、これが無理な感を与えてはいないだろうか。
子供の顔立ちが単純なようで面白いので引きたつている。
スポーツ写眞は望遠レンズで狙うことが多いが、この“ホームランバッター”は50ミリでよく撮っている。もう少しキャッチャーの後方も入れてまとめたらどうだろう。シヤツターチヤンスとカメラアングルは適切とは云えないようである。野球を被写体にした時はまずもつとも迫力のある瞬間を狙いたいものだ。
“ポートレート”は大変素直な写眞で好感が持てる。たゞ頭の後の樹の枝のボケはf5.6と云う絞りからくるのでもあるが目障りなボケ方だと思われる。足の位置ももう少し体裁よくしたほうがよいが「撮つてちようだい」式の記念写眞でもこのくらいに考へられゝば十分だろう。
以上