東日本大震災発生から4年半が経とうとしているが、被災地(石巻市、女川町、気仙沼市、陸前高田市)の復興状況を視てきた。
女川町
今年3月に女川駅を中心とした新しい町が完成し、「まちびらき」の行事が終わっていた。場所を高台に移して新設された近代的な「JR女川駅」には「女川温泉ゆぽっぽ」が再び併設されており、外には足湯も造られていた。 しかし、被災する半年前に訪れて観ていた街の建物は全くなく、見えるのは造成地のみだった。
元の運動公園(駅より少し高台)内には災害公営住宅200戸の建設が終了しており、新しい生活も既に始まっていた。復興はテンポは遅いが、着実に進んでいる様に見えた。
陸前高田市
高さ15mの津波に襲われた陸前高田市。 高田松原海岸には約7万本の松林が植えられていたが全滅し、何もなかった。残っていたのは奇跡の「一本松」のレプリカのみで、辺りは更地だった。
この更地に現在2本の防潮堤の建設が、巨大ベルトコンベヤーを使って進められている。第1の防潮堤は海岸線側に高さ3mのもの、第2防潮堤は山側に高さ12.5mのものだ。この2本の防潮堤の間(約100m)に松林が再現されるとのこと。
その他、石巻市、気仙沼市の被災地も中心地を外れると、まだやっと更地になった状況で、復興の遅れが感じられた。東京オリンピック開催の準備に人手を取られ、復興工事が遅れているとの被災者の声も聞かれた。
写真①:新設なったJR「女川駅」
写真②:造成中の女川町の遠景
写真③:陸前高田市の「奇跡の一本松」レプリカ
写真④:防潮堤建設用の土運搬用巨大ベルトコンベヤー(陸前高田市)
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