いつの間にか、父母の逝った年を越えて、「喜寿」と言われる年になってしまいました。
思い起こせば、昭和42年に会社から休職許可を頂き、カナダ、エドモントンのアルバータ大学大学院に留学したことが大きな遺産のような想い出となっています。当時は未だ貧しかった日本から、初めてジェット機に乗り、上空からバンクーバー市街が見えた時の感動は忘れられません。
大学のあるカナダ西部には天然ガスが至るところにあり、発電所は露天掘りの石炭をふんだんに使用していたので、ガスや電気代はただ同然でした。アルバータ州の面積は日本の約5倍、人口は約200万人(当時)と記憶していますが、豊かで住みやすいところでした。只、冬は寒く、いつも冷凍庫の中のようでした。1年後、家族を呼び寄せ、夏にはカナダロッキー(バンフ、ジャスパー国立公園)に度々出掛けました。公園内ではよくワイルドアニマル(グリズリー、エルク、ヤギ、ムース等)と遭遇し、グリズリーを見かけた時など、恐さ半分、自動車の窓をしっかり閉めて眺めたものです。実験の合間にエドモントン市内を流れる川で恐龍化石など拾ったりもしました。
3年間がアッと言う間に過ぎ、高度成長著しい日本に帰国しました。研究所は高度成長の波に乗り、B研、C研と拡張し、研究も石油、石油化学から新素材開発、バイオ関連研究へ広がりをみせました。第一次、第二次石油ショックなどの激しい変化の中、昭和61年まで研究所に勤務しました。
その後、旧通産省の大プロ研究に係り、新設された海洋バイオ研究所に勤務、「海はウイルスのスープ」(旧協和発酵工業㈱ 故加藤社長のお言葉)と言われたフロンティア研究にはわくわくするものがありました。また、海洋調査船「蒼玄丸」(3500t)でパラオなど世界の海に出掛ける機会にも恵まれました。清水の研究所には世界各国から研究者の見学が絶えず、タイのチュラボーン王女の訪問も受けました。
平成6年にMOOSに移り、約500万kl(日本の石油消費1週間分)の国家石油備蓄に携わりました。三陸はるか沖地震、ナホトカ号原油流出事故対応などを経験しました。MOOS時代も素晴らしい方々と一緒に仕事をすることが出来たことに感謝しています。
21世紀直前に定年退職後は親交のあった方々との集まり、芝刈り、山歩き、旅行など年相応に楽しんでいます。
この度、OB会から喜寿のお祝いを頂き、感激も一入、お礼申し上げます。
全東燃OB会と東燃ゼネラル石油㈱の益々の発展をお祈りしています。
添付写真
写真1:1969年アルバータ大学にて(前列右が本人)
写真2:2014年大洞山歩き(右から2番目が本人)
写真3:2015年ハワイ島にて(右から3番目が本人)
写真4:総研OB会 懇親会にて
以上