米寿のお祝い有難く拝受、OB会の皆様に心より御礼申し上げます。
米寿といっても、ただ生きて来ただけですが、これまでの生き方を見直す契機とはなります。
物心付いた頃二・二六事件に興奮しました。満州から支那、米英との全面戦争、原爆そして敗戦。強烈な経験は原爆後の救援活動でした。戦後の食糧不足、政治、経済、学制、諸々の大改革、右往左往したのが、私の青春でした。生まれは福岡県大牟田市。三池炭鉱で栄えた所です。姉、兄の末っ子をいいことに、十四歳(今の満年齢)で広島陸軍幼年学校に入学、復員後一年半程自宅で力仕事、それから熊本、東京と、早くから他人の飯を喰って来ました。
私が生まれた昭和三年は戊辰の年で、還暦の時に気が付いたのですが、その一つ前の戊辰は明治維新の年です。はるか昔と思っていた維新が意外と近いのに驚き、幕末以降の歴史を頭に入れようと、関係書物を渉猟しています。
昭和二十九年に東京で家庭を持ち落ち着きました。子供二人、孫三人も東京圏に根を下し、この八月には三人目のひ孫が誕生します。
四年四ヶ月前に五十八年連れ添った家内をなくし、現在一人暮しです。犬がいた頃は散歩で動き回ったのですが、それも死に、今はインコを飼っています。人間は何か役に立っているという支えがないと、生きていけないようです。
散歩の代わりに、近所のシニア・センターにある囲碁の会に入りました。年寄りの初心者が多く、井目の碁が多く、私の芸が荒れるばかりです。
東燃に触れることが出来ませんでしたが、在職したことを誇りに思っています。
以上