5月13日東燃関東地区OB会で喜寿のお祝いをしていただいた。有難いことである。「良い会社で働け、幸せだったなー」これが今に至る偽らざる心境である。とはいっても始めから順風満帆であったわけではない。否、始めに問題があったのである。
私は大学で機械工学科を学んでいたが、卒論は本流から外れた自動制御を専攻した。先輩の就職先は制御機器メーカーかユーザー企業である鉄鋼・金属などが多かった。そこで「鉄鋼」を希望したところ「鉄鋼は神経がもっと図太くないと」と助教授からダメがでて「東燃はどうだ?」と薦められた。聞いたこともない会社だったが、夏休みの工場実習をやり、その結果で決めようと本社に出かけた。そこで「就職する気があるなら、名刺で良いから先生に推薦状を書いてもらってほしい」と指示され、数日後に面接試験が行われた。
この面接試験が忘れられない。7月初旬落雷で停電下の暗い部屋へ呼び込まれ、技術担当取締役の大橋さん、人事担当取締役の加納さんの試問を受ける。専門科目記述に大橋さんがかみついた「機械科で学びながら金属材料が不得意科目とは何事か!」と厳しいお叱り。「これはダメか」と観念したところで、加納さんが「まだ卒業まで半年以上ある。しっかり勉強してきなさい」と助け船を出してくれ、何とかその場は治まった。
次のクレーマーは父である。当時両親とは別の所に住んでおり、就職活動状況を話す機会がなく、実習に出かける直前報告したところ「機械を専攻したのに何故石油会社だ?それも聞いたこともない」とにべもない。ただ「先生の薦め」にそれ以上口は出せなかった。晩年その父が「お前良い会社に入ったなー」と言ってくれた。あれは喜寿の後だっただろうか?
以上