喜寿のお祝いを頂戴し恐縮いたし居ります。まだまだ気持ちは若造ですが、その年齢になったかと苦笑している次第です。
顧みますれば昭和三十年の入社以来、一貫して製油部門に従事させて頂きました。最初の配属先が、当時ニュートッピングと言われたPS-2、次には花形プラントであるFCCと、最新鋭の装置を運転する悦びを得ました。
その後、折からの建設ラッシュでOG-2の一連の装置群の試運転に汗を流しました。とりわけ印象に残ることは、今で言う長時間労働もなんのその、月々三桁残業等誰一人ダウンする者もなく押せ押せで乗り切ったものでした。
確かに苦しく感じたこともありましたが、目的、目標を次々に達成して行くよろこびの方が強烈であり、またチームメイトの連帯感も忘れることができません。その後、幻に終わりましたPS-4建設のプロジェクト等々、オペレータとして最高の体験、体得は忘れ得ないものとなりました。
ところで私は交替勤務時代常々、不謹慎であるが密かにエマージェンシー(装置非常停止)の発生を待っていたものです。動いているものはいつか止まる、締めたものは緩む、製油部の場合は非常時の対応能力が最重要であります。可燃物、支燃物に取り巻かれた環境の中で、この時はこうしようこの場合はどうか、といった想定を繰り返し一人で考えておりました。それが実際のトラブル発生時に役立ったことは言うまでもありません。
担当する設備、装置を一手に任されたことへの使命感と誇りを持って来たし、今もその場を与えていただいたことに深く感謝しています。 東燃OB会が今後どう歩むかは未知ですが、我々東燃マンの誇りは永遠に不滅です。
以上