第45回東燃和歌山OB会総会の席で、喜寿のお祝いをいただきまして誠に有難くお礼申し上げます。これもめぐまれた上司、先輩、同僚の方々のおかげと深く感謝しております。
振り返ってみますと喜寿までの時間はすごく長かったように思われます。私の住む町(日高郡由良町)は天然の良港にめぐまれ、戦時中は旧日本海軍の基地があって軍艦が停泊しておりました。戦争末期には米軍空母から発進した艦載機が山端から音もなく現れて、軍艦に猛攻を加え多数の戦死者を出しました。戦争の恐さと悲惨さを思い知らされました。戦後は平和な時代が続き、本当に幸せでした。
その後日本は復興し高度成長期に入り、和歌山工場に入社した頃から設備が増設され、私は在籍中のほとんどをFCCの運転に携わりました。装置の安全を維持するために常に神経を集中しました。この時、体に叩き込まれた徹底した安全作業の心得は、現在でも自分の日常生活を送るうえで、活動の基本になっています。また各地に石油会社が建設されて、私も昭和46年沖縄のエッソスタンダード沖縄(後の南西石油)へ1年間出張した思い出があります。当時の沖縄はパスポートが必要で通貨もドルで外国並みの扱いでした。今でも当時の仲間と飲むと、この時のなつかしさが思い起こされ必ず話題になります。
大阪万博へ何度も見物に行ったことや、東京オリンピックの柔道競技で外国選手に敗れましたが、二人が試合後に交わした握手に感動したこと等も鮮明に記憶に残ります。
現在は日高郡でみかん作りをしながら生活を送っています。最後になりましたが、東燃グループの益々のご発展と、OB会員の皆様のご多幸を祈念いたしております。
以上