氏 名
 宇治田 忠昭
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成29年02月01日
表 題

 地域のシニア仲間との活動

本   文 

 私の住まい埼玉県白岡市は東北自動車道と圏央道が交わるところで宇都宮線では最も新しい駅(新白岡)の前に開けた団地です。退職を機にシニアの会「悠友会」に入り、仲間との親睦、趣味の会、文化的サロンの企画、ボランティア活動に参画しています。
 悠友会活動の一つで小生がまとめ役の歴史散策クラブを紹介します。ここは故郷でなくまた現役時代に地元を知る機会もなかったため地元及び近隣の歴史を知ることによって地元に愛着を持とうと同じような意識を持った現役卒業の仲間と始めた50名ほどのクラブです。四半期毎に地元或は近隣をガイドの説明を聞きながら散策しています。今まで江戸時代の防御拠点であった古河城、岩槻城、忍城、関宿城、また日光街道・中山道の宿場町である栗橋、春日部、大宮などを散策してきました。

 地元白岡の端には江戸時代に水田開発のための灌漑用水として作った利根川から足立区まで70kmに及ぶ見沼代用水が流れています。見沼代用水と排水用河川とは高低差があるためいくつかの箇所で河川との立体交差がある珍しい景色(昔は掛樋型、現在多くはサイホン型)が見られます。用水開削の碑を見ると工事責任者が何と吉宗が将軍になって和歌山から連れてきた井澤弥惣兵衛とのこと、自分が育った和歌山では聞かなかったのに此方で聞き驚きでした。(写真①)
 栗橋では利根川の東遷(東京湾に流れていたのを江戸の洪水防止のため銚子方面へ流れを切替え)の工事の経緯を利根川堤防の上で南西に富士山、北に男体山、東に筑波山を眺めながら説明を受け、手掘りでよくぞここまでの土木工事をしたものと感心させられました。(写真②)
 また、城下町関宿や日光街道宿場町春日部は、東北地方からコメなど産物を運搬するため利根川を遡り関宿から江戸川を下り小名木川を経由して江戸に運ぶ水運の拠点として栄えていたとのこと、関宿はその要衝で珍しい川の関所跡があります。(写真③)

 散策先では初めて聞く逸話を知り楽しいものです。もし興味がありましたら私が所属するシニアの会のブログ「悠友会プラザ」を検索し、その中の歴史散策クラブをご覧ください。このクラブだけでなく悠友会自体が発展局面にあり活動全体が結構面白いもので人との交流を通して良い刺激をもらっています。

写真説明
 写真①-1) 見沼代用水と河川の立体交差
 写真①-2) 見沼代用水開削者井澤氏について
 写真①-3) 見沼代用水が元荒川の下を流れる
 写真②     利根川の東遷の概略図
 写真③     関宿‐川の関所の説明

以上 

       
 
写真①-1)
 
写真①-2)
 
写真①-3)
 
             
     
 
写真②
 
写真③
 
         
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