この度、OB会から喜寿のお祝いを頂き、感激した。東燃を退職してから既に15年経っている。米寿の人はさらに十数年過ぎているわけだ。そんな元社員の長寿を祝ってくださるとは「いい会社」を通り越して、特別な会社だと思う。
この手厚さの元はどこから来たのだろうと考えてみて、思い至ったのは東燃の中興の祖、実質的な創業者である中原延平氏のことである。中原さんとは一度パレスサイドビルの廊下ですれ違ったことがあるだけで直接お話ししたことはない。しかし、人事の大先輩である加納さんや雨宮さんから事あるごとに様々なエピソードを聞かせていただき、中原さんの経営理念を間接的にではあるが学ぶことができたと思っている。詳しく述べる紙数はないが、就業規則を作る時の労働問題への見識の深さ、労働組合がストライキを打った時の労使関係に対する揺ぎない姿勢、あるいは通産省との会席における若手官僚への丁寧な応対の物腰など、どの話もある種の迫力を感じさせられるものだった。その中でしばしば出て来た「社員は大切にしないといけないよ」という言葉は上っ面だけの軽いものではなく、リーダーの哲学ともいうべき重みをもって心に響いた。それは社員をハッピーにすると同時に、モラールを高め、要員合理化や社員教育に一層の効果をもたらすものでもあった。
今回お祝いを頂いた時、中原さんのことが思い浮かんだのはその「哲学」がよほど強く心に残っていたからだと思う。
東燃が石油精製を再開した昭和25年は終戦から僅か5年しか経っていない。しかも日本自身がGHQの占領下にあった時期である。そんな時に中原さんは戦勝国の大資本を相手に、プライスフォーミュラなど、その後の東燃の経営基盤を支える数々の重要な契約を結んだ。その上さらに「社員を大切にする」という日本的な人事方針を貫くことは大変な勇気とエネルギーを要することであったに違いない。
戦後の混乱の中、会社の前途が未だ不透明な状況下で、日々多くの経営課題と格闘しつつ到達した中原延平氏の経営哲学―企業合併のメリットの一つがそれぞれの会社のいい所を生かすということであるならば、新しい会社で引き継いでいってほしいと強く思う。
以上