この度、東燃OB会から喜寿のお祝いをして頂き、誠に有難く感謝申し上げます。自分では喜寿になったという気持ちは薄いのですが、今回お祝いを頂いた機会に、東燃入社以降今日までを振り返って見たいと思います。但し、年次や数字的なものは正確性に欠ける事をお許し下さい。
CHAPTER-1 清水工場時代
昭和35年清水工場に入社。当時工場はオリオン計画が完成し工場全体が活気に溢れていた。我々高卒同期入社者はグループ名をオリオン会とし、3年毎の懇親会は現在も盛会です。
<Topics> 昭和37年頃と思うが工場が大地震の被害にあった。地震発生の2日前、袖師運河に普段見られない桜エビが大量に押し寄せてきた。私は上司の指示(?)で半日網でエビを掬っていた。大量収穫だったので、社員に分けたり、寮の食材に供した。自然の生物の感覚に感心した事があった。
CHAPTER-2 本社機械計算課時代
昭和41年4月本社転勤。転勤当初、計算機は1401時代で、所謂CPUは8Kbyteで機械装置は真空管を使っていた。2年後にパレスサイドビルヘ移転し電子計算機IBM360が導入された。
<Topics> 1401計算機時代、補助元帳等計算に長時間を要する時は、真空管が過熱しトラブルが発生するため、我々若手は装置の後ろで大団扇を持ち煽いだりした。機械計算課には大勢の女性パンチャーがいて世話になったり、楽しんだり?
CHAPTER-3 日本地下石油備蓄時代
その後中央研究所やTSK千鳥工場に勤務し、40代後半日本地下石油備蓄本社に出向し定年まで勤務した。この会社は、官庁関係、東燃ほか石油2社、鉱山会社等の出向者で構成され、夫々の会社の文化・持ち味があり、そんな寄り合い所帯ながら、我が国初の地下備蓄を作り上げるという目標を共有し、喧々諤々の議論をしつつ仕事をした。幸いにも私は基地建設からオイルイン、平常運転時代の仕事を経験し幸運であった。
CHAPTER-4 現在
77歳を迎えた現在、医師から不治の病と宣告されたC型肝炎も医学の進歩で完治し、3回の癌手術も乗り越え、毎日健康に喜びを感じつつ過ごしています。これからも趣味の絵手紙とソフトボールやボランティア活動に参加し、心身ともに健康に過ごして行きたいと思っています。良き時代に仕事が出来、これからも願わくばそうありたい思っています。末筆ですが今後のOB会の益々のご繁栄を祈念致します。
以上