入社した頃にはこんなに長く生きるとは思いもよらなかった。
戦後、満州から着の身着のままで引き揚げてきた後も、貧しい食卓であったが、飢えることもなく過ごしてきた。平和な国だからこそ、そこそこ元気な仲間がまだ多い。
家を建てたら転勤という言い伝えも、数年ごとの職場替えもその通り踏襲した。
和歌山、清水、川崎の三工場はもとより、中研のアパートから竹橋にも通勤した。
シンガポール、台湾、ゼネ石堺の試運転にも参加、清水LNGの立ち上げも手掛けた。随分いろいろ経験をさせてもらった。胃を悪くしたことも多々あったが、楽しく過ごした日々の思い出が記憶に残っている。東燃との統合を見届けキグナス石油精製で卒業した。
人生前半は両親と函館で、後半は家族と町田で前後半合わせて半分、残り半分は東燃で過ごしたことになる。
今年東燃の名前が消えた。寂しさを感じるが、これも時代の流れなのだろうと思う。
写真説明
写真-1:シンガポールで6ヵ月滞在した仲間(1970年)
写真-2:台湾髙雄で3ヵ月滞在した仲間(1982年)
写真-3:KSSOB会総会で
以上