昭和35年(1960年)に和歌山工業高校から東燃和歌山工場に入社。定年少し前に明るいリストラ退職で、損害保険代理店である(株)IMSへ。2005年3月に定年退職、渋谷のハローワークで見つけた駒沢パークインターナショナルスクール(KPIS)で9月新学期からの半日勤務の雑役仕事が8年、2013年7月にここも定年退職。同年9月からは、今度は東京電力大田のビルの警備員で大勢のお客様や社員の方々とも楽しく会話させていただくこと5年目です。
東燃時代の大半は、技術計算のひとつLP(リニヤープログラミング=線形計画法)で残業-残業のコンピューターとの付き合いでしたが、KPISでは半日シフトの肉体労働です。門を入ったら日本語禁止という英語幼稚園です。東燃時代4ケ月間米国出張あっても通訳付きで、英語の弱い私には笑い話のような言葉の失敗談がいっぱいでした。
27年前の胃ガンで胃の全摘手術をしてからは多分そんな長生き無理だろうなんて勝手に決めています。1964年の東京オリンピックには和歌山からほぼ往復で1ケ月分の給料かけ新しい東海道新幹線で旧国立競技場へ観戦にきたものですが、2020年まで元気でいて、今度はすぐ近く往復720円で新国立競技場へ観戦に行きたいものです。
私が現在あるのは、父親戦死で百姓の母子家庭の私を、中学卒業-大工さんに弟子入りという既定路線から育英資金という制度で母親説得して、和歌山工業高校-東燃という道へ方向転換させてくれた中学3年生の若い担任の先生による進路指導、その後の東燃時代の良き上司・先輩・同僚に恵まれたせいだと思います。
今後ももう少し月曜日~金曜日は元気に半日勤務、和歌山県へのふるさと納税も細々と続け、土日は「賭けず・飲まず・吸わず」の日本麻雀連盟東京支部で元気に遊ぶぞ!
写真1 懇親会にて(左=西村孝太郎さん、右=本人)
写真2 日本麻雀連盟東京支部のパンフレット(右上写真中央女性の後ろに小さく本人)
以上