今年の東燃本社OB会で、今年末77歳になるということで喜寿のお祝いをしていただきました。現役時代には77歳は随分先のことでその時のことを想像することさえありませんでしたが、現実のものとなりました。東燃ゼネラル石油を退職後、福山誠之館高校(江戸幕府老中首座阿部正弘公が創立した旧福山藩の藩校、今年で創立164周年)時代の友人から依頼されて彼の会社の経営に携わることになりました。当初は社外役員でしたので東京の自宅から福山へ定期的に通っていましたが、関係会社の経営を任されたため福山を拠点にすることになりました。70歳になったところで会社勤務は辞退しましたが、福山は私の故郷で多くの友人、知人もいるので、現在は福山を生活拠点にして、2~3ヶ月毎に東京の自宅で2週間程度過ごすことにしています。
前置きが長くなりましたが、本題の鳩の話を紹介します。
今年のOB会の後に福山へ帰って来てしばらくしてからのことです。自宅のマンションのバルコニーに鳩が毎日しょっちゅう来るようになりました。何故頻繁に鳩が来るのか分かりませんでしたが、ある日鳩がいつも木の小枝のようなものをくわえていることに気づきました。その時は鳩がどこかに巣作りでもしているのだろうと思っていました。
しかし、そのようなことが10日余り続き、朝起きると「ピーピー」と可愛い鳴き声が聞こえてきました。不思議に思って、バルコニー周辺を観察したところ、バルコニーの隅の植木鉢の後ろに小さな2羽の鳩の赤ちゃんを見つけました。握りこぶし半分にも満たない灰色の産毛に包まれた赤ちゃん鳩が身を寄せてブルブル震えているようでした。それから毎日何回も親鳩2羽が餌やりに来るようになりました。「ボーボー」、「ピーピー」微笑ましい光景ではありますが、頻度が増すと少し煩わしくもありました。
鳩の赤ちゃんは日増しにどんどん大きくなります。それからが大変です。餌を食べれば糞が出ます。大きくなるほどに排泄物の量も頻度も増加します。その都度床に水を流して掃除しなければなりません。まさに糞害に憤慨する毎日です。通常は両親2羽の鳩が餌やりに来ますが、時に1羽の時もあります。家内曰く、「父鳩はパチンコにでも行って油を売っているのよ。」私はパチンコには縁はありませんが、恐らく現役中の私の行いを皮肉って言っていたのでしょう。
子鳩はどんどん大きくなり、1ヶ月もすると、親鳩と同じ位に成長します。糞害は益々ひどくなります。でもなかなか飛び立つことはしません。バルコニーの周辺は高さ1メートル位の壁があり、子鳩が壁の手すりまで飛び上がれるまでにさらに1週間以上がかかりました。それでも子鳩は自分で餌をとることができませんので親鳩からの餌を待ちます。糞の量が益々増えて、糞害<糞害<糞害・・・憤慨<憤慨<憤慨のスパイラルです。
それでもやっと子鳩の旅立ちの日がきました。忘れもしない7月7日、七夕の日です。バルコニーの壁には5センチ位の隙間があります。子鳩2羽がその隙間に近づきました。この際とばかりに棒で飛び立つように促しました。何と子鳩は飛び出したのです。2ヶ月にわたる奮闘はやっと終わりました。でも今でも時々親子鳩が様子伺いに飛んできます。
鳩の話はここで終わりです。「鶴の恩返し」ならぬ「鳩の恩返し」を期待する訳ではありませんが、「鳩の恩返し」は何だったのでしょうか?この2ヶ月糞害に悩まされながらも、鳩の旅立ちまで毎日毎日それなりに愉快に、元気に過ごせたことに感謝すべきなのでしょうか?
人間の一生にも少し似たような経験があるのではないかと思います。小生が二人の子供達にひどく悩まされた訳ではありませんし、会社在籍中にひどい経験をした訳ではありません。でも、少しだけ困ったことは時々想い出すことがあります。今年は我々夫婦の金婚式を迎えます。今後与えられた人生を愉快に、恙無く過ごせるよう心がけて行きたいと思っています。
写真説明
写真-1:今年の東燃本社OB会懇親会にて(左=松村光雄さん、右=本人)
写真-2:自宅マンションから撮った福山城。手前は徒歩1分のJR西日本福山駅
以上