私が初めて「川崎市民ハイキングクラブ」を知ったのは、昭和55年会社から派遣された赤十字救急法の講習会場でした。当時ボーイスカウトの手伝いをしていた関係で山歩きに興味を持ち入会し、その後40年お付き合いをしています。
同クラブは、昭和55年川崎市山岳協会の活動を縁にスタートし現在に至っており、当初会員数は100名を超えていましたが、会員の高齢化等で現時点では50名弱になりました。この間北は北海道、南は沖縄八重山諸島、他に熊野古道、四国巡礼、観音巡礼等、海外は中国、ハワイ、カナダと多くの山行に参加してきました。
特筆すべきことは、毎月発行の会報誌「道しるべ」をクラブ発足以来一度も途絶えることなく発行続けてきたことです。最新号は令和元年7月18日付発行であり477号に達しました。この間印刷機を求めてあちこちの公共施設を渡り歩くなど、幾多の紆余曲折がありましたが「みんなで行く個人山行」「ケガと弁当は自分持ち」をモットーに続けています。
私も含め平均年齢が75才を越えましたが、クラブ員の中には二人も百名山完歩者を出し、今日も安全登山を目指し活動しています。40年の長きにわたるお付き合いをこれからも続けていきたいと思います。
写真説明
写真1 越後山脈「浅草岳」の雪渓にて (先頭が本人)
写真2 浅草岳の下り登山道にて
写真3 浅草岳の「ヒメサユリ」
写真4 会報誌「道しるべ」
以上