私が住む庵原地区は、古代「盧原(いほはら)の国」と呼ばれ、その政治的中心となったのが、庵原古墳群の立地するこの地域でした。三池平古墳や尾羽廃寺などの遺跡も多く、たまたま我が家から徒歩3分の所に、東久佐奈岐神社があり、毎秋豊作を感謝した「豊年祭り」が開かれ、地区の老若男女が集い楽しんでおります。
平安時代前期の儀式や制度を定めた律令施行細則の延喜式神名帳に、御穂神社(三保)、豊積神社(由比)と共に盧原郡三座と記載されており式内社となります。
創立年代は不詳ですが、景行天皇詔勅により日本武尊が東征した際、副将軍として活躍した吉備武彦命がその功績により盧原の国を賜り、皇子に縁の深いこの地に社殿を造営し、日本武尊を祀ったのが創祀とされ、約1800年前になります。
本殿には、御神像4柱が鎮座されていますが、朝廷より賜った貴重なものなので開披してはならないとの伝言があるとのことです。
神社由来を意識せず、孫を連れて本殿脇で遊びまわっていたことは、誠におそれ多い事だったと拙文を記しつつ反省しております。
写真1:神社の参道
写真2:拝殿。拝殿奥の階段上が本殿
写真3:うっそうとした木々に囲まれた本殿
写真4:天満宮、今宮社、白髭社、稲荷社等の境内社
以上