喜寿を迎え、東燃に在籍中の仕事の概要、東燃からの出向先と後に転籍先の業務とそこでのトピックス、そして退職後及び最近の関心事について綴ってみます。
東燃では、清水工場、中央研究所、総合研究所、本社、再び総合研究所に在籍し、1996年まで、潤滑油や石油精製プロセス・触媒研究、そして実用試験等を担当させて頂きました。各事業所で多くの方々から指導を頂き、更には良き職場の方々に支えられ、大変良い会社で働かせて頂いたと感謝しております。
転機は1995年開催のAPEC(アジア太平洋経済協力)大阪サミットです。会議の結果、APECのエネルギー関連の国際機関が日本に招致され、1996年7月にAPERC(アジア太平洋エネルギー研究センター)が設立されました。そこに当初は出向、後に転籍し68歳までAPEC加盟の21国・地域から派遣された方々と仕事をさせて頂きました。
世界の貿易量の約5割やGDPの約6割を占めるAPECは、加盟地域を一つの経済圏として貿易・投資の自由化等により地域経済の統合を目標にしております。その相互理解の一環として APEC域内全体のエネルギー需給見通し等を作成するために、日本の国家予算で設立されたのがAPERCです。
APERCでは、管理・総務・広報等を担当し、APERC各国・地域からのエネルギー専門家招聘の支援、研究活動の支援、研究成果の刊行、ワークショップの開催。更には、広報としてのEWG(エネルギーワーキンググループ)会合への出席等で、具体的にはペルーやオーストラリアなど10カ国程の会合に出席しました。
APERC内の公用語は英語で、通訳案内士や英検1級の資格で、通常業務には支障有りませんでしたが、研究者招聘業務の支援のための各国・地域とのコミュニケーションでは更なる交渉力の向上の必要性を痛感。そこで、TUJ(ペンシルヴェニア州立テンプル大学・日本校)・大学院の経営学修士課程に挑戦。入学に必須のTOEFL,GMAT等をクリアー、世界各国からの学生とケーススタディ等で共に学び2年間でExecutive MBAを取得しましたが、この経験がその後の業務に大変役立ちました。
APERC退職後は、時間的に余裕ができたことから、更に多くのことに興味を広げ、先ず世界遺産の資格に挑戦、マイスターを取得。世界遺産アカデミー・認定講師として、アカデミーからの要請で世界遺産検定・受験者のためのガイダンスを大学、高校、そして学習センターに出向き実施。
更に、美術の資格にも挑戦し、1級・アートナビゲーターを取得。今年はアートナビゲーターとして、国立新美術館の企画展「ウイーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」を会場とした大学生対象の「キャノン・ミュージアム・キャンパス」で教室1を担当し「1740年~1848年のウイーンのモダニズムの過程」のガイダンスを行いました。
その他、若いころに始めた油絵を今でも時々描いていますが、未だに満足のいく作品には至っておりません。更に、「朝日新聞の天声人語の書き写し」を、漢字の書き方を覚えて置くため・ボケ防止のため等を目的に、退職後ほぼ毎日行っておりますが文字の方は一向に綺麗に書けておりません。
写真説明 |
写真1 |
国立新美術館にて「アートナビゲーターとしてガイダンスで奮闘中」 |
写真2 |
飯能付近の河原にての油彩画「入間川の秋」 |
以上