氏 名
阿久津 敏朗
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
令和02年09月24日
表 題

 故郷の蒲原城

本   文 

コロナ禍のもと、いつものように人があまりいない所を選んで、今回は戦国時代の地元の古い城址を見学しました。結果的に誰とも会いませんでした。というよりイノシシでも出るのではないかという位の山中でした。

 蒲原城は、戦国時代、今川、北条、武田の三氏が領地の境の重要性から、勢力争いを続けてきた城です。天文年間(1532年~1555年)に今川氏により築城されたらしいです。

 しかし、1537年から1545年の間に河東の乱(かとうのらん、富士川東岸、今の富士市から沼津市の駿河湾沿岸地帯付近)がおこります。これは今川、北条、武田の入り乱れた戦争です。その勝ち負けで、蒲原城には、今川氏が入ったり北条が援軍に来たり、武田信玄が勝利し重心の山県昌景が入ったりしています。最後は、桶狭間の戦い(1560年)後、徳川家康の駿河支配によりその役目を終え、1590年、廃城となっています。(以上各種文献から抜粋)

 この城は、鳥瞰図のように蒲原の丘陵地の中で、周りの山とは深い谷で阻まれ、突出した形は山城としては天然の要害です。本郭は頂上に作られ、南曲輪と善福寺曲輪になっています。その間には、大堀切(空堀)が掘られています。その堀切からは両サイドの曲輪には梯子を掛けなければ登れないと思いました。本郭を守るため、たくさんの曲輪がつくられていますが、今はミカン畑になったり手入れがされず竹藪になっているそうです。足を踏み入れられませんでした。本郭までは、観光客用の道路があります。搦手口にある駐車場から南曲輪まで15分くらいです。

 武田信玄に敗れた北条新三郎(北条早雲の孫)の墓が、500m位離れた竹藪の中に、ひっそりと祀られていました。

 写真説明
  写真1 駐車場看板(搦手口にある)
  写真2 蒲原城址 鳥瞰図
  写真3 大堀切(南曲輪と善福寺曲輪の間)
  写真4 善福寺曲輪(草刈りがされていました)
  写真5 南曲輪址(今は八幡神社の境内で、草ぼうぼうでした)
  写真6 北条新三郎の墓

以上 

       
 
写真1
 
写真2
 
写真3
 
             
       
 
写真4
 
写真5
 
写真6
 
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