津城跡は三重県津市の真ん中にある。紀勢本線津新町駅の近く、市役所の隣。平城で囲郭(いかく)式と言われる回状の二重の御堀に囲まれていた。いまは外堀はすべて埋められ、内堀も半分くらいは埋められている。
築城したのは織田信長の弟の信包(のぶかね)で五層の天守閣があったという。その後城主が変わり、関ヶ原の戦いで西軍の攻撃を受け、荒廃した。1608年に藤堂高虎が移ってきてから、城、石垣や城下町を整備した。天守閣は再建しなかったが、武家屋敷や町屋の整備、伊勢街道の移動や堀川の利用など町の発展を図った。
藤堂高虎は、秀吉に仕えていたが、秀吉の死後、家康と親しくし大坂の役の後、32万石に加増されて、外様ながら大大名になった。高虎は、最初は武田信虎に仕え、虎の字を賜るような活躍をしたが、他の武田家臣に嫉まれ、武田家を去る。その後、一時百姓をするが武士に戻り数多くの活躍をする。
高虎は、生涯に8度も主君を変えるなど、その変わり身の巧みさに嫉まれることも多いようだが、戦いの巧みさ、城づくり、石垣づくり、町づくりなど優れた才能を見ることができる。大河ドラマの主人公になってもおかしくないと、私は思うのだが。
津城には、お伊勢さんをお参りしてから行ったので、夕暮れに近かった。暮れかかる城跡の御堀に、カルガモのつがい鳥が泳いでいた。
(写真説明)
写真① |
石垣:天守台を囲むように石垣が組まれている |
写真② |
藤堂高虎 |
写真③ |
入徳門(にゅうとくもん):藩校「有造館」の講堂正面の門、昭和61年に解体復原。 |
写真④ |
丑寅三重櫓(うしとらさんじゅうやぐら):天守台を囲む一角に造られた櫓 |
写真⑤ |
夕暮れの石垣 |
写真⑥ |
カルガモのつがい鳥 |
以上