氏 名
前島 次男
所 属
東燃総研OB会
 掲 載 日
令和04年12月16日
表 題

 喜寿を迎えて(喜寿祝のお礼)

本   文 

 東燃OB会より喜寿のお祝いをいただき誠にありがとうございます。バウムクーヘンを美味しくいただきましたまた。

 私は12年前に脳幹出血を患い、神仏のおぼし召しわるく、生き伸びました。それ以来今でもリハビリ病院通いを続けていますが、体力と気力、記憶力が徐々に下がっています。今年が喜寿であることも忘れていた時にお祝いの品を受けてアーそうだったかとの始末です。この体調では新しい事柄に触れることもままならず、東燃での幾つかの思い出を記述してお礼とさせていただきます。

 高度成長期の昭和46年(1971)4月に入社し、川崎工場拡張の第二期KEⅡの完工とISUを控えていた時期です。共に新入の私とKさんは、KEⅠで竣工してSD中のFCCを先に立ち上げるために2交替で触媒の充填と温度上昇などを担当しました。また、私はFCCに付設されたLPG乾燥・ブレンダーのSUを命じられ、外見上は完工していたのですがガチャモレの状態で、製作所の杜撰さに驚きました。これが半年足らずの工場現場経験で、後は20数年の研究所暮らしです。

 研究所では石油精製、石油化学、新規技術、分析機器導入などの広範な分野に携わりましたが、会社へはあまり利益をもたらさなかったと思います。これら分野の中で、上司・同僚のSさんやTさんの教導もあり、ゼオライト触媒技術の研究に最も情熱を傾けました.1998年11月にExxonケミカル主催のゼオライト分野の会議がドイツでありTCCのKさんが出ることとなり、私はその準備をほぼ完了した同年10月に出向の形でIPCC((財)工業所有権協力センター)へ移り、程なく転籍しました。約10年間IPCCで過ごして一区切りをつける思いで早期退職しました。その後は冒頭に記した有様です。

 研究所時代の一生に一度の思い出は、隅田川の花火見物です。私と同グループの活動屋Aさんが屋形船一艘を早々と予約を済ませてから参加者募りにはしりだしました。一艘分の人数を集めるために退職者にも声をかけ、また妻帯者は同伴することなどにしました。7月末の日差しの高い午後に浦安を出て、隅田川に入り、そこは川面が見えないほどの多数の見物船でした。私たちの船では飲み食べ放題で、花火の始まる頃には野郎どもは殆ど出来上がっており、花火やっているのかと言う者まで。華やかな光と打ち上げの音が同時に入る情景は忘れられません。この数年はコロナ騒ぎで中止になっていますが、再開されたら船上からの見学を皆様にお勧めします。

 『東燃』がOB会に永遠に残ることを祈り、お礼とします。なお写真は川崎に移転後の2003年に撮ったもので建物は以前のままでした。

以上 

     
 
総研本館A研の前で
 
C研からA研側を
 
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