5月12日に開催された東燃本社OB懇親会に米寿としてのご招待に出席 東燃OB会皆様の温かい祝福を頂き感謝・感謝の会合でした。ただ、ご長寿お祝い会員22名の中で出席したのは4名と極めて少数なのが気になりました。
私は紀勢本線 下津のトンネルを抜けたら東燃和歌山工場の全貌が目に飛び込む光景に魅せられて昭和35年東燃に入社(給与1万7千円)、高度成長期の始まりでした。和歌山と清水工場勤務を経て、川崎と本社にて川崎市浮島のTSKに隣接したTONEN川崎工場建設に際し排水処理設備の設計に従事、稼働後は環境保全に席を置き、川崎公害訴訟(コンビナートのばい煙で喘息に罹患したとの訴えで最終的には和解)の対応に従事しました。
川崎コンビナートは東電、日本鋼管、TONEN(含TSK)の3社を主体とした13社が結束した工場群で、この訴訟対応のため45名の弁護士を置き、行政との折衝、アレルギーの名医や著名な外国疫学調査士による証言など裁判での対処に従事し、渡米も行い、一般のサラリーマンとは少し違った経験をさせてもらいました。
尚、このコンビナートの夜景の美しさ、目の前の飛行機の発着に当時 上を向いてはしばしば興味深く眺めておりました。今、川崎市の名所として注目されております。
退職後、東燃の大会社が無くなるとは想像だに出来ず、東燃社員のご苦労に心痛の思いがします。
退職して28年、 第2の人生は主として画廊と太陽光発電、即ち美術とエネルギーに関与した自営業を営んでいますが、貧乏暇なしの状態ながらも、今回の懇親会で皆様が楽しく過ごしておられる姿を拝見して、私も同様に楽しく悔いのない残り人生を過ごして行きたいと思います。
役員の方々、皆様、勝手に私の職歴を述べ、御礼と致します。
以上