本社建設部に配属になり川工KEⅡを担当、算盤と計算尺で設計計算したが、これの図面化は当時川工に常駐していた清水建設の設計チームが設計チェックを兼ねて施工図に仕上げていった。川工には1年半程通ったが、鼻毛がよく伸びた。
伊豆大島から竹芝桟橋への帰りのフェリーで海の色が青から灰色そして黒になるのは、かなり凄かったことでショックを受けた。
入社3年目には和工技術部へ異動となり、AEⅠに配属される。
和工には最新型の液晶ポケット電卓が多数導入されており、算盤を使わずに済んで、非常に楽だった。助かった。
竹田社宅の課長宅で松茸入りのすき焼きをご馳走になったが、私は生まれて初めてのことでビックリしたが、和歌山ではそんなに珍しいことではないらしい。
みかんが甘いということも初めて知った。仙台のは酸味が強かった。
私にとって和歌山はちょっとしたカルチャーショックを感じたところでした。
以上